手を出せばほろんと零れてたなごころ淡い葡萄の夕暮れなのです 羽音


『優しい時間』が最終回を迎えました。
初めて、いや、2回目なんかな、倉本聰氏の連続ドラマを最後まで見てしもたんわ。世代的には『北の国から』や『昨日、悲別で』を見ていてもええんやけど、高校・大学時代はTVを見なかったもんで知らへんのです。
『前略、おふくろ様』は中学時代まで就寝九時が我が家の掟だったので無理やったし・・・・
渡哲也の『浮浪雲』と大滝修治の単発ドラマ『ホンカン』はすごく好きなシリーズでモノマネもしました。あの2作が倉本作品と知ったときには驚きました。
今、思たら、やはり空白の使い方が倉本作品やったんかな、と思います。実は最後まで見た連ドラのもうひとつは『浮浪雲』です。
 今回のドラマは、富良野が舞台なんですね。
 富良野には1週間ほど滞在したことがあります。麓郷でした。『北の国から』は、その頃全然見てなかったんで、宿の場所が麓郷がゴローの家がある場所ときてもピンとこなかった。
ともかく空気が綺麗な場所でした。
 富良野の記憶は夕暮れがとっても綺麗だったこと。あないな美しい薄紫の空は見た事がなかった。
 それを『淡い』というお題で思い出したんです。そういうたら、あの夕暮れは壊れそうなぐらい淡い夕暮れやったな、と。
それをそのままうとたんがはじめの短歌です。

 せやけどなんですね、『優しい時間』を見たら、喫茶店がしたなりますな。20代の頃、長野の『OREAD』と網走の『麗門亭』で住み込みのバイトをしていたことを思い出しました。
 いつか茶店のマスターになりたいな、それが最終の夢ですかね、70歳でも80歳でもええからやってみたいですね。
 このドラマを見ながらなんどもそう思いました。
   ほんま、喫茶店に流れる時間は独特なんですよ。

   ほな、今日、足を止めた短歌を

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 春告げにわが喉元を訪れし素魚(しろうお)明るき弾力に満つ  島菜穂子

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 上の言回しが粋ですね。生物の力強い生命エネルギーをもろた感じが伝わってきます。
惜しむらくは全体の言葉のリズムが結句で崩れたために、全体のリズムも歯切れが悪くなったのが残念ですな。


 

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明日でも 今日でもないよな 午前二時 空間だけの ような気がする  美穂


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ああ、この感覚なつかしい。独身の時、こういう風に思ったもんですよ。
なんか時間から浮き上がった空間ちゅう感じですね。
今は子供寝かして、ビール飲んで、その午前二時は紛れもない今日の準備の今日。
ピュアな感覚は遠い昔でんな。

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 思いたち風にまかせて行けるから今度は蜘蛛に生まれてこよう 仁村瑞紀

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やられてしもた。そう思いました。
蜘蛛が飛ぶ話で短歌作るつもりやったからね。
先に、

『糸ひきて蜘蛛は飛びたりすぎし日の苦き数々断たんとすれば   さよこ 』

が、投歌されていましたが、この歌は観念があって、それほど飛行感がない。
せやけど、この仁村さんのお歌は空高く舞い上がる蜘蛛が見えて、いい歌ですね。
蜘蛛は空を飛ぶんでっせ。ほんまの小さな蜘蛛ですけどね。お尻から、ぷうと糸を膨らませて風まかせで、
飛ぶんです。日本では北国で晩秋に見かけられるよって「雪迎」なんて綺麗な名前で呼ばれます。
欧州では、それが蜘蛛とは気づかず神秘的なものとして、「聖女の糸」なんて呼ばれています。

 しかし、「蜘蛛に生まれてこよう」と言い切る意外性には参りました。

  ほな、また。